野崎島のこと
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祈りの記憶が満ちる島

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野崎島ご来島をお考えの方へ【重要】

野崎島は、ほぼ無人の島です。
安全快適な島旅をお過ごしいただくため、野崎島ご来島にあたっては、こちらから必ず事前の届出をお願いします。

野崎島の真価は、美しい風景の中に隠された「物語」にあります。
単なる散策では気づけない深い歴史と感動、そしてほぼ無人島での安全のためにも、野崎島を深く味わうなら、ガイドツアーへご参加をオススメしております。

■旧野首教会と野崎島の集落跡ガイドツアー
■沖ノ神嶋神社と王位石の参拝 特別ツアー
■野首から舟森へ、信仰の里道を行く特別ツアー

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01 野崎島について

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地図にはない時間を歩く。
祈りの旅がここから始まります。

野崎島は、小値賀本島の2キロ東に位置する比較的大きな島で、 南北に細長く、中央部(野首)がくびれたような形になっています。小値賀本島と同じく野崎島にも東側の一部に、火山の噴火でできたなだらかな地形がありますが、それ以外は五島列島独特の急陵な地形で形成されており、小値賀島とは全く異なった景色が広がっています。
現在、実質的な無人島となった野崎島ですが、そこには古代からの神道の聖地、潜伏キリシタンが開拓した集落跡、そして400頭を超える野生の鹿たちが共生する、奇跡のような風景が広がっています。

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海は「壁」ではなく「道」だった。
小値賀諸島の文化的景観と、
野崎島の役割。

古くから小値賀の人々は、海を隔てる「壁」ではなく、島と島をつなぐ「道」として扱ってきました。農作物は平らな小値賀島で育て、日々の煮炊きに必要な薪や炭は野崎島の森へ採りに行く。異なる役割を持つ島々を、船を操って移動しながら暮らす。この「島嶼間(とうしょかん)移動」こそが、国の重要文化的景観に選定された小値賀独自のライフスタイルであり、野崎島を理解するうえで重要な背景です。

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野崎島にはかつては野崎・野首・舟森の三集落があり、多いときには650人前後の人々が暮らしていました。現在は宿泊施設の管理関係者以外、ほぼ無人状態の島となっていますが、神社、家屋の跡が遣っています。また、島を歩いているといたるところで目にする急斜面につくられた石積みの段々畑の跡からは、この切り立った島を切り開き生活の場としていた人々の知恵と努力を伺い知ることが出来ます。
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赤い大地と、鹿たちのパラドックス。
野崎島に広がるのは「サバンナ」のような草原風景。一見、手つかずの自然に見えるこの美しい景色は、実は「人と自然のせめぎ合い」が生んだ奇跡的なバランスの上に成り立っています。島には現在、400頭を超える野生の鹿が生息しています。彼らが草木の芽を食べ尽くすことで、木々は森になれず、島は草原のまま維持されています。そのおかげで、かつて人々が築いた段々畑や集落の石垣は、藪に埋もれることなく、その姿を今に留めているのです。

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鹿たちは、意図せずしてこの島の「庭師」の役割を果たしてきました。しかし、そのあまりに旺盛な食欲は草木が育つ余裕を与えず表土の流出につながっています。鹿がいなければ、遺跡は森に飲み込まれる。鹿が増えすぎれば、野崎の植生は崩壊する。この微妙なバランスのもとに現在の野崎島の景観が成り立っています。

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神道の聖地に隠れ住んだ、
キリシタンの「集落」の物語。
2018年7月、『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』が世界文化遺産登録されました。野崎島は島全体が「野崎島の集落跡」として構成資産になっており、神道の聖地への移住という稀有な潜伏の歴史を伝えています。キリシタン達は神官と氏子しかいないこの島を選び、神社の氏子を装うことで信仰を文字通り「潜伏」しました。神道の聖地ゆえの環境を逆手に取り、信仰を守り抜いた彼ら。解禁後に建てられた教会は、長い潜伏の終わりと自由を告げる「信仰の証」として、今も集落を見守っています。
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「本当の豊かさとはなにか」
現在、野崎島は自然の壮大さを感じる場所、そして野崎の歴史を学び肌で感じ「本当の豊かさとはなにか」を考える場所として多くの人々が訪れます。廃校となった小値賀小中学校野崎分校はリノベーションされ、簡易宿泊施設「野崎島自然学塾村」としてご利用いただけます。かつて子供たちが学んだ教室に泊まり、野崎島の生き字引と言われる「塾長」と自分たちで食事を作る自炊スタイル。テレビも売店もない島で、夜になれば人工の光がない「本当の暗闇」と、降り注ぐような満天の星空が広がります。聞こえてくるのは、波の音と野生の鹿の鳴き声だけ。時計を外し、島の時間に身を委ねる、他では味わえない「無人島ステイ」を体験できます。

 

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02 人の営みの灯が消えた島

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野崎島にもかつては、野崎・野首・舟森という3つの集落があり、昭和30年代には650人以上の住民が暮らしていました。戦後の復興から迎えた高度経済成長期、自給自足で暮らしていた島にも電気が通り、お金がないと生活できない社会になりました。そのころ200人程の人口だった野崎島では、現金収入を得るため多くの人々が出稼ぎにいき、そしてやがて島を離れました。高齢者も、島を出た子どもの元へ越していきました。そして平成13年、当時最後の住民であり島を守り続けてきた沖ノ神嶋神社宮司の離村により、人の営みの灯が消えました。現在は、簡易宿泊施設・休憩施設「野崎島自然学塾村」の管理者以外、無人の島になっています。

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03 祈りの記憶

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世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の中で、野崎島は極めて特殊な価値を持っています。それは、ここが「神道の聖地への移住」という、他に類を見ない潜伏形態をとった場所だからです。野崎島には、野崎集落の人々が信仰した「神道」。そして、野首集落、舟森集落の人々が信仰した「キリスト教」と2つの深い信仰がありました。
もともと野崎島は、古代から続く「沖ノ神嶋神社」の神域であり、神官と氏子だけが住む厳格な霊地でした。島の北部、山に覆われた山中には海に向かって沖ノ神嶋神社が社殿を構え、その後方には「王位石(オエイシ)」とよばれる24mにもなる鳥居型の巨石がそびえ立ち、聖なる場所として野崎島をはじめ小値賀本島からも崇められてきました。
19世紀、迫害を逃れてきた潜伏キリシタンたちは、あえてこの「聖地」を安住の地に選びました。彼らは沖ノ神嶋神社の氏子となり、表向きは熱心な神道の信徒として振る舞うことで、文字通り「潜伏」したのです。昼は神社の行事に参加し、夜は密かに祈りを捧げる二重生活。神道の聖域という不可侵性が、皮肉にもキリスト教の信仰を守る最強の「盾」となりました。
禁教令が解かれた後、彼らはカトリックに復帰し、わずか17世帯の自分たちの集落に堂々たる教会を建てました。島の中心部に位置する野首集落跡には、潜伏キリシタンであった住民たちが建てた旧野首教会が高台から海を見渡しています。
集落跡に残る神社の鳥居と、空に伸びる教会の十字架。
野崎島に残る風景は、異なる二つの宗教が奇妙に、しかし巧みに共存し、信仰の灯を守り抜いた知恵と強さの証です。

世界文化遺産 長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産
「野崎島の集落跡」

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04 野崎島を旅する

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野崎島のみどころ


沖ノ神嶋神社

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慶雲元年(704年・飛鳥時代)に、小値賀島にある地の神嶋神社と向かい合う形で創建されたといわれている神社です。山道をひたすら歩き続けるとうっそうとした原生林とそびえたつ巨石「王位石」が現れ、その真下に沖ノ神嶋神社があります。最後の住人として島に残っていた神官も平成13年に島を離れました。
※コースは滑落の恐れもある険しい山道です。野生のイノシシに遭遇する恐れもあります。立て看板もなく遭難の恐れもあり大変危険ですので、現地スタッフによるガイドツアーをご利用ください。

王位石

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沖の神嶋神社社殿の奥には、古来より「おえいし」と呼ばれている巨石がそびえたっています。頂上までの高さ24メートル、両柱の端から端までの幅 12メートル、頂上テーブルの広さ5メートル×3メートルというとても大きなものです。自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神嶋明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。
※コースは滑落の恐れもある険しい山道です。野生のイノシシに遭遇する恐れもあります。立て看板も少なく遭難の恐れもあり大変危険ですので、現地スタッフによるガイドツアーをご利用ください。

旧神官屋敷

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二つの信仰が交錯した舞台。
沖ノ神嶋神社神官屋敷

野崎集落に残る、明治29年築の「神官屋敷」。格式高い武家屋敷造りの玄関が、かつての神官の権威を伝えます。特筆すべきは、屋敷内にある「遥拝所(ようはいじょ)」です。潜伏キリシタンたちは氏子を装ってこの屋敷に通い、表向きは神道の行事に参加することで、密かに信仰を守り続けました。神道の拠点でありながら、キリシタンの隠れ蓑ともなった、島独自の複雑な歴史を今に伝える貴重な遺構です。

旧野首教会

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17世帯の信徒が築いた、魂の結晶。
旧野首教会

野崎島の高台、海を見下ろす場所に佇む赤レンガの聖堂。教会建築の名工・鉄川与助が初めて手掛けたレンガ造教会として、1908年に完成しました。この壮麗な建築を支えたのは、当時わずか17世帯の信徒たち。貧しい生活の中で食事を切り詰め、費用を捻出した彼らの「信仰の結晶」です。2025年11月、3年に及ぶ大修理が完了。創建時の輝きを取り戻した奇跡の空間で、静寂な祈りの歴史をご体感ください。

舟森集落跡

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断崖の果て、絆が生んだ安住の地。
舟森集落跡

野崎島の南端、断崖絶壁の海岸にひっそりと残る「舟森(ふなもり)集落跡」。江戸末期、迫害を逃れた潜伏キリシタンを、小値賀の廻船問屋が救い、かくまった場所です。住民は恩人を「だんな様」と慕い、厳しい開拓生活の中で宗派を超えた深い絆を育みました。かつての瀬戸脇教会跡や、斜面に築かれた石垣。波音だけが響く最果ての地には、信仰を守り抜いた人々の静かで力強い息遣いが今も刻まれています。

野首海岸

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教会を見上げる、奇跡のブルー。
野首海岸の絶景

旧野首教会の眼下に広がるのは、手つかずの自然が残る無人島ならではの絶景です。透き通るようなコバルトブルーの海と、約300m続く白砂のビーチ。丘の上の赤レンガの教会と、輝く青い海のコントラストはこの島を象徴する風景です。歴史の重みに触れた後は、ただ波の音だけが響く人工音が一切しない静寂の中で、心洗われるひとときをお過ごしください。晴れた日には昇ってくる朝日、満月の夜には彼方から続く月の光の道を見ることが出来る絶好のスポットでもあります。

見えない物語を歩く。

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野崎島ガイドツアー
野崎島の真価は、美しい風景の中に隠された「物語」にあります。なぜ険しい急斜面に石垣があるのか? 氏子を装い、どうやって信仰を隠したのか?ガイドの解説があれば、目の前の静かな廃墟が、かつての人々の息遣いを感じる「生活の場」へと鮮やかに変わります。単なる散策では気づけない深い歴史と感動、そして無人島での安全のためにも。野崎島を深く味わうなら、ガイドツアーへご参加ください。

野崎島ガイドツアー詳細はこちらから


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